おかやま住宅工房
中川 大
NAKAGAWA Futoshi
中川
倉敷は民藝が古くから根付いている土地ですが、一方で観光地でもあります。海外からのお客さんに対して、『民藝』をどのように伝えていらっしゃるのか、あるいはすでに民藝を知っている方は多いのでしょうか。
山本
海外からのお客様は多く、アジア系、アメリカ、ヨーロッパ多岐にわたります。僕は語学があまり得意ではないので積極的には話ができないのですが、融民藝店に置いてあるような器はアーティストによって作られているのではないということは極力お伝えして、日々の暮らしで使うもので、誰もが求めやすいように手仕事で数多く作られていると伝えています。
融民藝店で買ってもらえなかったとしても、「そういうものって自分の国にもあったっけ?」という引っかかりになってくれたらいいなと思います。民藝の精神となるととても難しいです。西洋ではマインドフルネスのような世界に繋がっていくのかもしれませんが、そこにはあまり触れず、何かちょっと引っかかってくれたらと思ってお話しますね。
融民藝店で買ってもらえなかったとしても、「そういうものって自分の国にもあったっけ?」という引っかかりになってくれたらいいなと思います。民藝の精神となるととても難しいです。西洋ではマインドフルネスのような世界に繋がっていくのかもしれませんが、そこにはあまり触れず、何かちょっと引っかかってくれたらと思ってお話しますね。
中川
ご自身も配り手であると同時に、使い手でいらっしゃるわけですが、使う喜びといった部分はいかがでしょうか。
山本
外村吉之介さんも、民藝の手仕事を野菜に例えています。農家さんが作った大根は次に作ったときは同じ味にはなりません。農家さんとしては以前より美味しい大根を作ろうと取り組んでいるわけで、僕らの仕事も、いい大根を新鮮なうちに店に並べるという八百屋的な感覚なので、家に同じような器を持っていても、また欲しくなっちゃうんですよ。家に増えてしまうので、奥さんがブレーキになってくれてます。僕自身、その都度違う使い手の楽しみがあるんですけどね。
使っていてだんだん変化する様子は、長く使う楽しみでもあります。マグカップや湯飲みなら、朝とか夜、ふとした瞬間にすごく良く感じて、ほっとするとか。ガラスのコップで朝一杯水を飲むときに、たまたまコップに陽が差して反射していると、表情があるのでグッときますね。こういう瞬間が暮らしに当たり前にあるのは豊かなことだと思います。形だけでいうと、百均のものでも思わずおっと思うものもあるのですが、ある瞬間に見せてくれる表情は民藝の手仕事にはかなわないと思います。
使っていてだんだん変化する様子は、長く使う楽しみでもあります。マグカップや湯飲みなら、朝とか夜、ふとした瞬間にすごく良く感じて、ほっとするとか。ガラスのコップで朝一杯水を飲むときに、たまたまコップに陽が差して反射していると、表情があるのでグッときますね。こういう瞬間が暮らしに当たり前にあるのは豊かなことだと思います。形だけでいうと、百均のものでも思わずおっと思うものもあるのですが、ある瞬間に見せてくれる表情は民藝の手仕事にはかなわないと思います。
丹下
昨年の日本民藝館展で、漉いた紙300枚をばら売りで出展したいと申し出たら、受け付けてもらえなかったんですよ。山本さんに相談したら、かわりに出展してくれたんです。作り手が困っているときに手を差し伸べてくれる優しさ。「どうにかしないと」という気持ちはお店の範疇を超えてる。最初にうどん屋に行ったときの「この人は信用できる」というのは間違ってなかったですね。
山本
日本民藝館展は出展作品を購入できるんです。運営としては、300枚のばら売りで、1枚売れたときにどうやってお客様に手渡すかということが頭をよぎったようなのです。でもそれは売る側の役割です。作り手としては、紙を300枚漉いてピシッと揃うのは立体的な造形としてもきれいですから、それで出展したいという丹下さんの言っていることは間違いではない。奇抜な物を作ったのかと思ったら、全然そうではなかったし、出展させてもらったんです。
講評会では絶賛してくださいました。300枚を重ねると漉き方によっては凸凹してしまうけど、ピシッと揃っているのは見事な仕事。これこそ繰り返しの仕事の成果だと言ってくださって、出展した意味はあったと思います。
講評会では絶賛してくださいました。300枚を重ねると漉き方によっては凸凹してしまうけど、ピシッと揃っているのは見事な仕事。これこそ繰り返しの仕事の成果だと言ってくださって、出展した意味はあったと思います。
中川
困ったときの配り手のナイスフォローですね。
丹下
いま入り口横の飾り棚に吊ってもらっているのが張り子の用紙ですが、張り子をする人がもっと増えないかな?とか、張り子用紙として売ってはいるけど何に使ってもらってもいいです。便箋とかの裁断片をもう一度漉いているので、値段もそんなに高くないです。
使い手からすると、何に使えるのか考えるのもいいし、買って持って帰るのにもそんなに気を遣わないです。和紙って扱うときに緊張感があるでしょ。緊張感を感じながら文字を書いたりするのも良いのですが、そうではないときの紙も欲しいなと思って。よその店にはこの紙、出していないんですよ。この紙の制作意図の説明が山本さんならうまくできるから、融民藝店に置いてもらっているんです。天井から吊ってディスプレイしてくれるお店はそうないと思います。この後、同じ飾り棚で球体張り子を陳列してもらうつもりで紙を上に吊るしたので、そのときは上下の展示で「素材」と「完成品」という関連ができます。
使い手からすると、何に使えるのか考えるのもいいし、買って持って帰るのにもそんなに気を遣わないです。和紙って扱うときに緊張感があるでしょ。緊張感を感じながら文字を書いたりするのも良いのですが、そうではないときの紙も欲しいなと思って。よその店にはこの紙、出していないんですよ。この紙の制作意図の説明が山本さんならうまくできるから、融民藝店に置いてもらっているんです。天井から吊ってディスプレイしてくれるお店はそうないと思います。この後、同じ飾り棚で球体張り子を陳列してもらうつもりで紙を上に吊るしたので、そのときは上下の展示で「素材」と「完成品」という関連ができます。
山本
この張り子用和紙は、売り出すとすぐ完売します。飲食店の方だったらメニューを書こうとか、ランチョンマットにしようとか、皆さん思い思いに考えていますね。
丹下
上から吊るしている様子は、自分の工場の風景に近いですね。完成品以外に、工場に転がっているものとかも並べて売ったら面白そう。
中川
私たちがこの『民藝を訪ねて』の取材で工房へ伺って、お話を聞かせていただいたときのようなワクワク感がありますよね。こうやって作っているんだという。思想、学問としての民藝という面から興味をもつ人もいるだろうけど、きっかけは、器に料理を盛って出したいとか、どんな入り口でもいいと思うんですよ。ただ、作り手の仕事場を見て、裏のストーリーを知ると、感じ方が全然違ってくるし、愛着が湧きますよね。
山本
暮らしの中が全部民藝でなければならないというわけではないと思うんです。「百均もあって、デザイナー物もあって、民藝もあるという暮らしが楽しいと思いませんか」ということを伝えていきたいです。これからの時代、メタバースのような仮想世界やAIと共存する世界がもっと身近になると、民藝の器を使って食事を体感するような手触り感がある時間に、もっと価値が出てくるのではないかと思いますね。
中川
「これでなければならない」とほかを否定してしまうのは違うと思います。丹下さんの工房へ行ったときも斬新なものも古典的なものも両方あって、いいものは互いに馴染むのだなと思いました。
作り手と配り手、使い手と配り手、それぞれの信頼関係についての話がありましたが、先代の小林融子さんが培ってきた信頼関係を山本さんはどのように引き継いで、今後に繋いでいきたいですか?
作り手と配り手、使い手と配り手、それぞれの信頼関係についての話がありましたが、先代の小林融子さんが培ってきた信頼関係を山本さんはどのように引き継いで、今後に繋いでいきたいですか?
山本
融民藝店という名前をそのまま引き継いだのは、この景色が残ったらいいなと思ったのもありますが、大事なのは、そもそもなぜ『融民藝店』という名前にしたかということです。小林融子さんの『融』でもありますが、話を聞いてみると自分でそうしようと思ったのではないそうで、外村吉之介さんや大原孫三郎、総一郎さん、お店の建物の家主さんでもある実業家の原玄太郎さん、岡山県民芸振興株式会社・初代社長である杉岡泰さんたちの意見だそうです。融子(ゆうこ)で28年生きてきて店の名前が『とをる』とは、最初は違和感があったみたいです。でも、漢字の意味を調べると左が鍋を火にかけている様子で、右の虫が生き物のこと。食材を煮炊きしてみんなに振る舞い、配る行為、それによって場が和むという意味もあるそうで、とてもいい漢字だと思いました。
融民藝店がやってきたことは、まさに漢字そのままで、シンプルにたくさんのものをいろんな人に使ってもらい、和やかに暮らしてもらうこと。融子さん自身も「もの」が好きで、「これ、いいですね」とお客様と共感し、気持ちが共有できる場所を長く営んできたのだろうと思います。僕も融民藝店が心掛けたことを大事にして、共感・共有が生まれる場所にしていきたいですね。
融民藝店がやってきたことは、まさに漢字そのままで、シンプルにたくさんのものをいろんな人に使ってもらい、和やかに暮らしてもらうこと。融子さん自身も「もの」が好きで、「これ、いいですね」とお客様と共感し、気持ちが共有できる場所を長く営んできたのだろうと思います。僕も融民藝店が心掛けたことを大事にして、共感・共有が生まれる場所にしていきたいですね。
中川
今日はいろいろなお話をお聞きすることができて、また違った思いでこちらへ伺えそうです。貴重なお時間をどうもありがとうございました。
【おわります】
民藝とは
「民藝」とは「民衆的工藝」のことで、大正時代末期に思想家・柳宗悦(やなぎ
むねよし)らによって提唱された。芸術家が作る鑑賞するための美術品ではなく、名もなき作り手による、機能的な美しさを備えた日々の暮らしのための器や道具のことを指す。民藝の品を保存し、普及、発展させる民藝運動が全国に広まり、各地の民藝館を拠点に現代に受け継がれている。
外村吉之介(とのむら きちのすけ 1898~1993)
1948年、倉敷美観地区に開館した倉敷民藝館の初代館長。関西学院大学神学部を卒業し、牧師であり織物の研究者でもあった外村吉之介に実業家・大原総一郎が館長就任を要請した。倉敷の民藝活動に助言を続け、倉敷美観地区の町並み保存にも貢献した。
日本民藝館展とは
日本民藝館(東京・駒場)で年に一度開かれる新作工芸公募展。伝統的な技術を継承し、「用の美」を備えた暮らしに役立つ陶磁器、織物、染物、木工などの工芸品が、毎年2000点余り出品され、展示、頒布される。優秀作には「日本民藝館賞」などが贈られる。