おかやま住宅工房
中川 大
NAKAGAWA Futoshi
中川
ぼくは手紙を書く時、丹下さんが漉いた紙の便せんを使ってるんですよ。
以前ここに来させてもらってたので、
「あそこで漉いた紙なんだな」
とイメージできて。
弊社で家を建てる際、内装に以前は土佐和紙を使っていたんです。
でも地元倉敷にせっかく備中和紙があるのだから使ってみたいなと思って、壁に貼らせてもらったこともありました。
「民藝」という部分で言うと、レクチャーしてもらわないといけないことがたくさんありますので、今回、備中和紙の魅力など、お話を伺うことになりました。
どうぞ、よろしくお願いします。
以前ここに来させてもらってたので、
「あそこで漉いた紙なんだな」
とイメージできて。
弊社で家を建てる際、内装に以前は土佐和紙を使っていたんです。
でも地元倉敷にせっかく備中和紙があるのだから使ってみたいなと思って、壁に貼らせてもらったこともありました。
「民藝」という部分で言うと、レクチャーしてもらわないといけないことがたくさんありますので、今回、備中和紙の魅力など、お話を伺うことになりました。
どうぞ、よろしくお願いします。
———
丹下さんは、おじいさまから
和紙の漉き方を習ったんですか?
丹下
いや、習ってないんです。
祖父が作っているのを見てはいたけど。
逆算できるというか、その紙がどうやってできたのかを読むことができるので、祖父の紙に限らず、他の工房が作った紙を渡されて、「こんなのできる?」と言われても同じものが漉けますよ。
自分で漉いて、貼って、使ってみての繰り返しで、最適な答えを探る。
名刺にしても祖父が作っていたものと、ぼくが作るものとは違うんです。
違うというのは、もうちょっとこうした方がいいんじゃないかという箇所も出て来るので、そういった微調整はするということです。
祖父が作っていたものも真似できるので、そっちがいいと言われる人は、そっちを買ってくれたらいいし、新しいものがいい人は、ぼくが作ったものを買ってもらったらいいし。
どちらもできます。
祖父が作っているのを見てはいたけど。
逆算できるというか、その紙がどうやってできたのかを読むことができるので、祖父の紙に限らず、他の工房が作った紙を渡されて、「こんなのできる?」と言われても同じものが漉けますよ。
自分で漉いて、貼って、使ってみての繰り返しで、最適な答えを探る。
名刺にしても祖父が作っていたものと、ぼくが作るものとは違うんです。
違うというのは、もうちょっとこうした方がいいんじゃないかという箇所も出て来るので、そういった微調整はするということです。
祖父が作っていたものも真似できるので、そっちがいいと言われる人は、そっちを買ってくれたらいいし、新しいものがいい人は、ぼくが作ったものを買ってもらったらいいし。
どちらもできます。
———
紙を作り始めたのは何歳ぐらいですか?
丹下
正式には二十歳の時に「やります」と言って始めたので、まだ19年ぐらい。
ぼくは紙を漉いた一日目から形になったので、祖父からいろいろ教えられたわけではないんです。
ぼくは紙を漉いた一日目から形になったので、祖父からいろいろ教えられたわけではないんです。
中川
今は、紙を漉くこと以外にもその周辺のいろんなことをされていますね。
丹下
民芸の作品展示会などのDMとかポスターのデザインですね。
あれは成り行き。
最初から「自分はこれしかしません」と言う人もいるかもしれないけど、仕事をやっていると「こんなの、やってみたらどう」とか言われて、それに応えていくと「面白いね、やってみたらいいんじゃない」ということがあるんですよ。
ぼくは美術の点数がよかったわけでもなく、写真とか平面のグラフィック的なことは、大の苦手なんです。
「苦手です」で終わってもいいんですけど、できた方が有利でもある。
余裕でやってるわけではないです。
紙を漉くのも向いているのか怪しいですからね。
あれは成り行き。
最初から「自分はこれしかしません」と言う人もいるかもしれないけど、仕事をやっていると「こんなの、やってみたらどう」とか言われて、それに応えていくと「面白いね、やってみたらいいんじゃない」ということがあるんですよ。
ぼくは美術の点数がよかったわけでもなく、写真とか平面のグラフィック的なことは、大の苦手なんです。
「苦手です」で終わってもいいんですけど、できた方が有利でもある。
余裕でやってるわけではないです。
紙を漉くのも向いているのか怪しいですからね。
中川
ええ !? そうなんですか?
丹下
もっとこうした方がよく見えるんじゃないかとか、そういうことはやった方がいいと思うんですよ。
新しいものを作るにしても、プロダクトデザイナーさんなんかが入ってくると、普段の工程に加えて必ず一工程以上は増えるんですけど、普通だとやらない。
自分の仕事をちょっとでも変えるとすごく疲れるんです。
だけど、信頼する人がそういう風にした方がいいと言うんであれば、それはどうにか形にしようと頑張るわけです。
頑張ったら体、壊すんです。
新しいものを作るにしても、プロダクトデザイナーさんなんかが入ってくると、普段の工程に加えて必ず一工程以上は増えるんですけど、普通だとやらない。
自分の仕事をちょっとでも変えるとすごく疲れるんです。
だけど、信頼する人がそういう風にした方がいいと言うんであれば、それはどうにか形にしようと頑張るわけです。
頑張ったら体、壊すんです。
中川
やっぱり体、壊すんですか?
丹下
それはもう、すぐ体に出ます。
中川
熱が出たりとか、お腹下したりとか?
丹下
もっとひどいです。目に帯状疱疹が出る。
毎年夏に片目だけに出るんです。追いこんで作ると結構いいのができたりするんで。
毎年夏に片目だけに出るんです。追いこんで作ると結構いいのができたりするんで。
中川
そういうものなんですか?
丹下
片目あれば仕事できるしと思ってやるんですけど。
ぼく、新しいものを作るときは、人に見せられない。
いつもはクラシックとかジャズとか聴きながら仕事するんですけど、新しいものを作るときは、ピアノの一音だけを延々と繰り返してるのを流すんですよ。
しかも自分で音源を作って。
怖いでしょ(笑)。
ぼく、新しいものを作るときは、人に見せられない。
いつもはクラシックとかジャズとか聴きながら仕事するんですけど、新しいものを作るときは、ピアノの一音だけを延々と繰り返してるのを流すんですよ。
しかも自分で音源を作って。
怖いでしょ(笑)。
丹下さん自作のBGM音源
ダウンロード可能
中川
その音がいいんでしょうね。瞑想状態のようで。
丹下
漉いてる時は何も考えてないですよ。
空っぽです。
無。
考えたら遅れが出る。
空っぽです。
無。
考えたら遅れが出る。
中川
漉いているときは無になって・・・。
「自分らしさを」と思ったら
いいことにはならないですか?
「自分らしさを」と思ったら
いいことにはならないですか?
丹下
水を相手にする仕事だから、水の流れを止めないことが重要なんです。
自分が「こう、してやろう」とか思ったら
ダブダブになります。
自分が「こう、してやろう」とか思ったら
ダブダブになります。
中川
自分の頭の中は無だけど、身体感覚は生きてるんですか?
丹下
何も考えないというか・・・。
サックス奏者のデイヴィッド・サンボーンが
うまいこと言ったんだけど、プロのバスケットボール選手はボールが急に来た時には何も考えない。
あらゆるパターンがいっぱい浮かんで、その中から正解を無意識に選んで、次の行動に移ってる。
そういうことなんですよ。
だから別にぼくが考えなくても、紙を漉くという単純なことですから、紙によって揺らし方とかが決まるんです。
それは意識しないですよね、自動的なものだから。
サックス奏者のデイヴィッド・サンボーンが
うまいこと言ったんだけど、プロのバスケットボール選手はボールが急に来た時には何も考えない。
あらゆるパターンがいっぱい浮かんで、その中から正解を無意識に選んで、次の行動に移ってる。
そういうことなんですよ。
だから別にぼくが考えなくても、紙を漉くという単純なことですから、紙によって揺らし方とかが決まるんです。
それは意識しないですよね、自動的なものだから。
中川
感覚が反射的に正解を判断する・・・。
丹下
同じ漉き場で漉いても、個人差が出ると思いますよ。
その人の癖というか、出るんですね、同じものでも。
それがええと言われるのか、悪いと言われるのか。
できた時に使いづらいなとか、なにかわからないけど使いやすいというのがあって。
向き不向きはあるけど、悪い癖が減っていってるうちは、ぼくが漉く意味はまだあると思う。
その人の癖というか、出るんですね、同じものでも。
それがええと言われるのか、悪いと言われるのか。
できた時に使いづらいなとか、なにかわからないけど使いやすいというのがあって。
向き不向きはあるけど、悪い癖が減っていってるうちは、ぼくが漉く意味はまだあると思う。
【つづきます】
備中和紙とは
備中和紙のルーツは、岡山県西部の成羽川沿いにあった集落・清川内(せいごうち)に伝わっていた手漉き和紙。
機械生産による紙が大量に流通し始めた1950年代、「国産原料だけで作る本物の紙を」という倉敷民藝館初代館長・外村吉之介氏のアドバイスによって、丹下哲夫氏が清川内の紙づくりを進化させた。
1964年に外村氏によって「備中和紙」と命名され、便せん、封筒、はがきなどの商品が新たに考案された。
1980年、奈良・東大寺の大仏殿の大規模な改修が行われた際、1200年以上を経た経典を次代に遺すため、名だたる書家、芸術家が新たに経典を作り、納める「昭和の大納経」という一大事業が執り行われた。
その際、書写の土台となる紙すべてに備中和紙が採用された。
機械生産による紙が大量に流通し始めた1950年代、「国産原料だけで作る本物の紙を」という倉敷民藝館初代館長・外村吉之介氏のアドバイスによって、丹下哲夫氏が清川内の紙づくりを進化させた。
1964年に外村氏によって「備中和紙」と命名され、便せん、封筒、はがきなどの商品が新たに考案された。
1980年、奈良・東大寺の大仏殿の大規模な改修が行われた際、1200年以上を経た経典を次代に遺すため、名だたる書家、芸術家が新たに経典を作り、納める「昭和の大納経」という一大事業が執り行われた。
その際、書写の土台となる紙すべてに備中和紙が採用された。